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○ 東京土建 の結成 を振り返 る/荒井 春男 元書記長 に聞く(3)

 荒井春男元書記長のインタビューは最終回です。今回は日雇健康保険擬制適用廃止のたたかいや全建総連で住宅対策部長を務め、ご自身が中心となって始めた住宅デー運動などについて掲載します。

「他流試合で見聞広めよ」
総連・地評役員、国の審議委員も

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左から白滝書記長、大江前全建総連書記次長、荒井さん

白滝 全建総連の部長をやりながら、東京土建の専従だったわけですね。
荒井 そうです。伊藤さんが、とにかく東京土建の枠の中だけでは駄目だよということでした。こういう言い方をしていました。「他流試合をやって、もっと見聞を広めることが大事です」と。どんな他流試合と言ったかといいますと、東京地評の役員など、それからいろいろな外部団体、国の審議委員なども随分やらされました。
大江 一番大きなのは、全建総連の住宅対策部長ですね。
荒井 そうです。長かったですから。
大江 でもあのころは、全建総連の花形だったのではないですか。建設業法改悪反対のたたかいで、全建総連運動の一大中心になった。
荒井 私は中建審(建設省の中央建設業審議会)にいたものですから、中建審で建設業法の改悪反対論議を審議会でもやったりしました。随分、外の仕事をやりました。「大変だけど身につくから他流試合を頑張れ」とよく伊藤さんに言われたものです。

建設産業は平和でなければ

大江 伊藤さんの話で、ニューギニア戦線から帰ってきたという話がありましたね。
荒井 土建の労働運動に平和思想を位置付けたというのは、ニューギニアの死線を越えた経験から、絶対に戦争は駄目だということと同時に、戦争になって建設産業が衰えて破壊の産業になってしまった。それが戦後、建設産業といって今日の復興を築いた。まさに建設産業は平和でなければ駄目なんだ、という意味の話を必ずやりました。
 それを会議の前段で、戦争と平和の問題について話をして、それから本題に入っていくのです。そういうオルグの仕方をやりましたね。
 伊藤さんがそういう話をすると、私みたいに理屈っぽくないのです。理屈では言わず、具体的な事実で話しました。あれは説得力がありますね。だから私も現役のころ、割合と伊藤さんのそういうところを学んで、物事を整理して具体的な事実で組み立てるという、そういう話し方を努力したものです。伊藤さんはそういう話し方が身に付いているのです。

町場衰退の危機感持ち
住宅相談を組織に結び付け

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1978年、第1回住宅デーを開催した

白滝 70年代半ばぐらいだと、修築資金あっせん融資制度の獲得などがありました。このへんは荒井さんの独壇場でやられたことなのですね。
荒井 そうです。
白滝 それが住宅デーにつながっていったのですね。
荒井 住宅相談を組織に結び付けていったのです。社会保障闘争では歴史的にも非常に輝かしい実績を持っています。だけど建設労働組合で、肝心な、現場の、道ばたの運動は必ずしも十分ではなかったのです。私が杉山さん、伊藤さん、門田さんなどと議論して、「とにかくやれ」ということで、本部の中ではかなり私に任された感じもありまして、しつこく運動を展開していきました。
 全建総連の谷口さんという技術対策部長がいまして、彼も大工出身ですから、「職人憲法をつくる、というのは荒井さんどうだろう」と持ち掛けてきました。私は「今のままでは町場は駄目になるよ」と応じました。高度経済成長のときには、仕事がもう有り余ったものですから。

高度経済成長の仕事を疑う

荒井 よく私がその当時に、いろいろな組合の会議に呼ばれて話をするときに必ず言ったのは、「とにかく高度経済成長のときには皆さんどのような仕事をやっていたのですか」と尋ねた。
 「私は大工だからよく知っています」と問いかける。建前をして、塗壁下地をやったら次の現場に替わったのです。塗壁下地をやって、そのままずっとそこにしがみついて完成させていくのではなく、別の工事へ移る。それで職人をいいあんばいに手配しながら、ぼつぼつと仕上げていくのです。「そういうやり方が本当のやり方か」ということを聞いて回った。

『職人憲法』で住宅デー始める

荒井 だから職人として本当にあるべき心構えというものを見直さなくてはいけないという考えが出てきたのです。それが『職人憲法』(木造軸組施工基準、住宅建築業務基準)です。全建総連の谷口さんは同じ気持ちで「よし、やろう」ということになりました。これを頭で教えるのではなく、もっと実践的に運動化をしていったほうがいいと思い、その翌年、『職人憲法』の理念をどのようにその地域の建設の運動に広めていくかということを課題に地域で住宅デーを始めたのです。
白滝 『職人憲法』という名前は誰が付けたのですか。
荒井 谷口さんです。谷口さんと2人で打ち合わせをしながらやりました。私は住宅対策部長を、確か20年近くやったのではないでしょうか。
大江 20年やった人はいないと思います。一番長いです。

擬適廃止乗り越える
要求を制度化し組織する

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日雇健保擬適廃止反対闘争のちょうちんデモ

白滝 少し後になりますが、日雇健保の擬適廃止のたたかいはもちろんすごいたたかいでしたが、その廃止後、わずか1~2カ月で土建国保をつくりました。その当時は当然荒井さんもその中心的なメンバーだったと思いますが、相当なご苦労があり、しかもその後、組合員が3割ぐらいがたっと減りました。そのとき、そこをどう乗り越えるかとか、不安もあっただろうと思うのですが。
荒井 あれは本部で役員の役割分担をやったのです。それで、健康保険の問題は崎山さん(元国保組合専務理事)を中心に、とにかく健康保険の10割給付というのは、職人というのは1日休めば手間がないので、10割給付はとても大事なのです。
 だから日雇健保のたたかいのときも、そこはものすごく大事にしていろいろと頑張ったものです。国民健康保険の場合は法律でいえば7割ですから。それを10割給付の土建国保にすることを、どう東京都に認めさせるかというので崎山さんを中心に頑張ったのです。
 私は日雇健保がそうなったときに、組合員がどんどんやめていくのだから、土建の職人として、また零細の親方として必要な要求をずっと整理して、いろいろ制度化の運動をやり、制度にどう加入させるかという加入促進をやり、健保がおかしくなって組合員がやめていくのを、今度は土建の労働者が持っている要求を、土建組合という立場からそれを引き出して組織化していくという、そういうやり方に切り替えたのです。
 だから、それまでは健保一本の拡大でした。それからは両面作戦で、それで、あのときは組合員の減少を食い止めて拡大の方向に持って行ったのです。割合、早めに拡大はテンポ良く進んだのです。それを新しい要求でもって組織化を進めたのです。

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