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○ 東京土建 の結成 を振り返 る/荒井 春男 元書記長 に聞く(2)

 「けんせつ」前号に引き続き、東京土建の結成当時のようすをお聞きした荒井春男元書記長のインタビューを掲載します。

喜んだ西洋館の事務所
東京の機関紙は中央の役割

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『横浜建設労働組合の戦後20年』を見る大江元書記長(左)と荒井さん

白滝 組合結成当初から組合員をふやすこと、要するに組織づくりを大きな課題にしていたと思うのですが、あのころは既に大林組などゼネコンにも組合運動がありましたが、そことの関係はどうだったのでしょうか。
荒井 清水建設の組合で宮田さんという人がいました。その人がよく組合の会議に来ました。それでいろいろと発言してくれました。
 中執などでも傍聴してくれるのです。当時の宮田さんの発言というのは私も勉強になりました。
白滝 大林組のこともよく出てきますね。
大江 大林組の組合委員長の市来崎さんでしたか。最初の事務所の土地の世話や建材を提供(払い下げ)してくれた。
荒井 よく土建に来て、伊藤さんや門田清さん(当時の書記長)たちと情報交換や、いろいろいい話し合いをしました。
 それからすぐに産別会館に移ったのですが、自分たちの会館が欲しいというので、白金三光町の立派な西洋館で、古いからガタガタしていましたが、自分たちの事務所ができてみんなが喜んだのです。全建総連の、当時は土建総連ですが、事務所もそこでした。
大江 『横浜建設労働組合の戦後20年』を見たら横浜の組合は最初から東京土建の事務所に通っているのです。
荒井 浜建労(現在の建設横浜)とのお付き合いは随分深いものがありました。
大江 横浜というのは、神奈川の通称の名前で、浜建労は横浜だけではなくて、神奈川全体の組合なのです。
荒井 私も浜建労へ機関紙のことで呼ばれて行きました。
大江 東京土建の機関紙に横浜の話が載っていて、東京の機関紙がやはり中央の機関紙の役割を果たしているのです。
荒井 当時はそうなのです。

運動の重点は地域に
産別個人加盟の組織方針

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全国組織の結成を伝える全日本土建一般労働組合のニュース

白滝 そのゼネコンの組合とのかかわりがあったけれど、そことは合流せずに、やはり職人さんは職人さんの居住地で個人加盟という組織原則を立てたわけですか。
荒井 それは東京土建の組織方針です。私はそういう議論には、加入する前ですから加わっていませんが、伊藤さんなどによく当時の話を聞きました。要のことですから。結成に向けた準備会というものができて、そこでどういう組織をつくるかいろいろな議論があったのです。
白滝 産別個人加盟居住地組織という、独特のスタイルですね。
荒井 杉山甚太郎だとか、国府武夫だとか、戦前の組合の指導者としての経験を持った人たちが、結成準備に入るわけです。
 でも聞いてみると、準備会の最初の組織化の議論の中では、職別と産別との関係について、かなり激しい議論をやったらしいです。戦前の組合というのは、みんな職別でしたから。
 だけど議論の中で総括していくと、自分たちがずっと組合運動をやっていたから、職別の限界が分かるわけです。それで産別の建設産業全体を組織することとして、どう進めていくかということになったのです。
白滝 普通だと、熟練工対象の組合は結構先にできると思うのですが、そうではなく、産別だから未熟練も含めて一般労働組合という組織方針ですね。あれはすごいですね。
荒井 それで産別と個人加盟を関係づけていく。立派なものですね。
白滝 野丁場の人たちは、組織対象としては考えていなかったのですか。
荒井 はい。その野丁場の組織化については多少やったことはありました。野丁場の組織づくりについても、芽が出たところもあるのです。でも結局、町場の職人さんたち全体をどう個人加盟でもって組織するか。地域に運動の重点を置いていくのです。野丁場の組織の問題なども相当議論をされたし、手掛けもしたらしいです。

親方が役割果たす
高度成長前の職人の世界

白滝 それはやはり労務加配米を支給する群ですね。それで居住地組織が出来てきたのですね。やはり町場の方が活動の中心になったのですか。
荒井 はい。どうしてもその地域とのかかわりが切り離せなかったのです。
白滝 そうですね。結構、当時から親方も入っている、要するに最初から事業主も入っている組合でしたね。
荒井 だいたい高度経済成長以前の職人の世界なんていうのは、親方が中心なのです。そこに職人が雇われているのです。それでけがをしたり少し具合が悪くなったりすると、見舞金をもらったりしました。そういう主従関係のような形で、親方を中心に何人かの職人が定着していく、実態としてはそうだったのです。
 うちなども親父が割といい棟梁だったので、職人さんが長く働いていてくれて、親戚関係みたいだったのです。そのかわりに職人さんのうちで病人が出たり、また本人がけがをしたり病気になったりして仕事ができないときには面倒を見るのです。
白滝 そうすると、自然に親方は組織をしながら、職人さんも組合に入ってもらうような流れになるのですね。
荒井 そう。親方が入らなくては職人は入れないのです。だから労働組合といいながら要は親方です。ただ、頭は進歩的な親方なのです。だから組合は産別運動の役割を果たせたのです。親方でも質のいい親方なのです。
白滝 最初から綱領に入っていますが、全国組織を目指したのではないですか。
荒井 そうですね。
白滝 全国どこにでも行ったという話も、『1月15日と大工外沢謙次郎』という伊藤さんが書いた本などを見ると書いてあります。門田さんの話も残っていますが、最初からそのように全国組織を目指していたのですか。
荒井 それはかなりたってからです。割と門田さんは人見知りでした。知らないところへ1人ではあまり行かないのです。1度北海道へ呼ばれ、1人では嫌だといって田川実さん(のちに書記次長)を連れて行ったのです。門田さんは立派な人ですから、全国から話を聞きたいと声がかかるのですが、なんだかんだと言いながら行かないのです。

ハスの花咲かせる
懇懇と説かれた専従の役割

白滝 荒井さんはかなり早いうちから全国組織で活躍したのですね。
荒井 伊藤さんが私をそのように育てたのです。組合で教宣部長だとか本部の役員をやっていましたが、60年安保闘争の前段に専従になりました。そのときにいい話をしました。いまだに忘れられません。
 今までは組合の役員であちこちに呼ばれ、土建の労働運動の花形の役割をやり、「いい思いをしただろう」と言って、「専従になったらそんなものではない」と、今度は非専従の役員や活動家をどう組合運動に結集して方向づけるか、その役目を専従が担うのだということです。言うならば、どろどろの沼に根を張り、そこからずっと栄養を吸収して花を咲かせるということです。
白滝 ハスの花みたいです。
荒井 ハスの花です。労働運動で今まで荒井君たちがやっていたのは、その水面に咲いたハスの花の運動だよと言うのです。専従というのは、そのハスの花をどう咲かせるかという、そこに専従の役割があるのだと言うのです。
 表現は悪いけれども、大衆というのはそういう点で言ったら「沼」で、たくさんの要求を持って、そこに根を張って要求を引き出す役割が専従の役割ですと。だから、華ばなしく思うのではなく、もっと自由にしっかりと泥沼に根を張るような形で大衆の要求を吸い上げるという役割なのだという話でした。
白滝 それは伊藤委員長が言われたのですか。
荒井 懇こんと言われたのです。荒井君、一杯飲もうなんて連れられて、そういういろいろな話をされ、専従の本当の任務というのはそういうものなのだということです。

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